Can-do と CEFR は同じじゃないの?

 今日の1校時に英語科の研究授業が行われた。初めての担任で忙しいのに自ら手を挙げてくれた先生に頭が下がる思いだ。いろいろと大変な時期に準備をしていたのに、昨日の授業キャンセルで予定が狂うという事態に。それでも今日の授業はしっかりまとまっていたので、普段の取り組みがしっかりしているんだなぁと感じた。授業はとにかく生徒たちはまとまっていて、4月からのクラス作りが実を結んでいるのが分かった。その後の研究協議で議題に上がったのだが、トレーニング中心の授業において何を目標とするか、が見えにくい部分があった。内容が分かった英文を練習して取り込めればよし、ではないのだろうか?私の授業も着地点がないかもしれないと考えさせられた。

 もう一つ研究協議で聞いた話で、can-do listはCEFRとは違うものとして扱うようにと言われた。CEFRは到達度を測る表であって、できたできなかったの指標として使うのだが、can-doは「全生徒が達成しなければならないもの」として提示者が学習者にその達成を保証するものだそうだ。そうなの?????文科省からの申し送りに明示してあり、それゆえに国や自治体で統一したcan-do listを作って提示するわけにはいかないとのことだ。「保証するもの」なんて怖くて簡単に作れないし、でも達成できなくても何もペナルティーがないので各校で内容を(見栄で)盛ってしまう可能性だってある。can-doの話が出てからかなり年数が経っているけど、未だに何をすべきか見えないし、その必要性に至ってはますます疑わしくなっている気がする。ちょっと検索してみたら、ある大学の先生の論文に、我が県のすべての県立高校はcan-do listを作っていることになっている。え、作ってないですけど。そういう話を広められると問題あると思うなぁ。


 英語Ⅱは本文の音読がメイン。やっぱり「音読ができるようになる」という目標しか立てられなかったなぁ。

 2時間続きの英文法クラスは語法問題。新しいパートナーとも上手に活動できていてホッとした。


 放課後は会議の後、看護学校を受験する生徒の指導で1時間。最近は模擬面接の依頼も増えてきて、もう放課後がぎゅうぎゅうになっている。