「教えること」と「話合い活動」

この10月はとてつもなく忙しかった。その理由の一つが校務分掌における大きな山場だった。それが私だけでなく学校にとっても初めて立ち上げる事業だったので、どのくらいの業務になるのか全然分からなかった。そのため、よりによってその10月に研究授業を入れるなどという暴挙に及んでしまった。本当に大変でした。


その研究授業に向けて、いろいろ迷ったけど、そうは言っても何かに挑戦しようと決めました。普段通りの授業をしてもそれなりの評価をしてもらえるくらいには経験値は上がっているので、それでもいいかなんて気持ちが揺らぐことが何度もあったけれども・・・・。ということで何に挑戦したかと言われると、大それたことでもなんでもないのですが、「話合い活動」にやっと挑戦しようと思ったということです。


ということで研究授業でその時間を作ってみましたが、その時に思ったことを備忘録として書いておこうと思います。もちろん話合い活動は大変だという漠とした感想は持ちましたが、最も心に引っ掛かったことは「教師による道筋に乗せて話合いを進めること」に対する思いでした。授業のシミュレーションをしながら、おそらくこういう展開になるんじゃないか、じゃあ次はこういう風に誘導して、なんて考えてしまっている自分に対し疑問を感じることがありました。まぁ、結果としてその通りに進んだわけですが・・・。


そして先日ふと大村はま先生の本を読み返すことがあり、今はその内容から少し気持ちが整理されたような気がします。つまり、授業での話合い活動はシミュレーションとして機能していて、生徒が自分でゼロから思考するための練習なんだろうなぁと、今は考えています。自由に考えるための土台作りとしての授業や学校、というスタンスは私には納得がいきます。もちろん私の授業の良くない点でもある、「レールのひき過ぎ」には注意しなければならないとも思っています。


まだまだ力不足で話合い活動がうまくいかないことも多々あるのですが、言語の教師としてやっぱりできるようになりたいし、それこそが生徒が英語を使う場面であるべきだと思っています。ということで私の決意表明でした。